こんにちは。藤川@キクスイマグ中の人、です。
子供のころ、その意味はわかっても実感が湧かなかった事柄に「時間の経過」があります。
「光陰矢の如し」とは、まさに的を得た比喩だなと、最近しみじみと思います。矢は早く飛び去るとともに、いったん放たれた矢が手元に戻ることは(原則的に)ない。なので、時を無為に送るものではないという戒めにもなっているわけです。
某国営放送の朝ドラ「半分、青い。」が9月に終わりました。私は結構楽しめましたが、視聴者の評価は賛否両論だったようです。脚本が雑すぎる、展開が早すぎて没入できないという意見もあったようです、しかし主人公の40年分の人生を半年で描くわけですから、ストーリーの濃淡は当然あることですし、全部丁寧に描いたら話が終わらない上に、(今回の主人公は偉人ではなく普通の人です)かなり退屈な話になるでしょう。
これは書評に似ています。Amazon等のブックレビューを眺めていると、酷評を目にすることがあります。内容を見ると、構成が悪いとか、論旨展開が飛躍しすぎ、エビデンスが薄いなど、著者の主張がどうのではなく(そこを非難するものもありますが)、書籍というパッケージングの優劣を評価するようなコメントが多いように感じます。たしかに書籍も「商品」なので、その完成度を問うという論考はありえますが、なんともそれは「全方位で100点を目指すべき(それは正しい)」という、いかにも日本人的な価値観だなと感じます。
同時にそれは日本人の自縛であり、この国にある閉塞感の一因であるようにも思います。
話を戻すと・・・時間は過ぎ去るのが早いのだから、怠惰に生きるなという箴言は正鵠を射ています。なので寸暇を惜しんで精進という人は少なくないでしょう。しかしそういう御仁に限って「時間は有限である」という認識が薄い。昔「24時間戦えますか」という宣伝コピーがありましたが、それは人間だったら不可能です。でも「24時間戦える(人間業 ではない)」ことが前提であるかのような、物事の進め方や考え方が、あちこちにあるかにように、私には思えるのです。
ということで、当社本社ロビーの10月のテーマ(飾り)は昨年のお下がり+αです(笑)。
ミソは「+α」ですね。全く同じじゃつまらない。しかし全部取り替えるほどでもないし時間もない。ならば「ひと手間」加えてしのいでしまうのはアリです。これを「戦略的手抜き」といいます。単なる手抜きはいただけませんが、戦略的手抜きは、勘所をおさえての作業最適化ということ。
時間が足りないのは皆同じ。だからといって根性論は論外。
これから重要なのは「戦略的手抜き」です。重要な部分を見極めて、あとは潔く捨てる。それができないままだと、死ぬまで自分の人生を生きることはできないでしょう。
そうは思いませんか?