「光る泥だんご」というのをご存知だろうか。ただの泥と水をこねただけの泥だんごなのだが、とある手順で磨き続けると、やがて表面が鏡のように光りだすという。6月にNHK総合で放映されたテレビ番組で知ったのだが、小さな子供たちの間ではちょっとしたブームらしい。
このブームの仕掛人(?)というのが、京都教育大学の心理学の先生で、2年程前に「光る泥だんご」というものに出会った。そして子供の遊びを研究テーマとしていた彼は、子供達が一心不乱にだんごづくりに熱中するという様を見て、光る泥だんごが、子供の遊びの本質を探る素材になるのではと考えたそうだ。
しかし、本当に泥だんごを光らせるにはそれなりの技量が必要で、幼い子供には実際難しい。たいていの場合は、文字どおり泥のままだ。それでも子供たちにとっては、自分が何時間、何日もこね磨き続けた泥だんごは、何ものにも代え難い「宝もの」になるらしく、作っただんごは肌身はなさずになるらしい。
ある日彼は、では本当にピカピカに光る泥だんごと、子供が自分で作った泥だんごが目の前にあったらどちらを選ぶのかという実験を試みた。だんごづくりに熱中する子供に「手を出してごらん」と言って、彼が作った見事に光る泥だんごをポンと渡してみた。子供は一瞬「わあっ」という表情を浮かべたが、すぐに光るだんごを見つめたまま動かなくなってしまった。で、どうするのかと思っていたら子供は光るだんごを彼に返して、何ごとも無かったように自分のだんごづくりに戻ってしまった。他の子供もほぼ同様な結果で、自分のだんごを捨てて光るだんごを選ぶ子はいなかった。
このシーンを見たとき、正直、私はほっとした。心理学的な理屈は種々あるのだろうが、与えられたものよりも、たとえ不格好であっても自分も努力(の結果)を選ぶという行為が、こんな世の中でも子供たちの中にはまだキチンとあるという事実に、救われたような気持ちになった。
また同時に、「泥だんご」がまるで人生そのもののようにも思えて、なんか切ない気分にもなった。
いつ光るかもわからないけど(もしかしたら一生ないかも?)、それを信じて自分という泥だんごを磨き続ける…、人生ってそういうことかなあ、と。(ちょっとカッコ良すぎたかな?)