コーヒーブレイク コラム

正解のない世界を生きる 〜答えを求めてさまようあなたに〜

少し前の話題。 最近の学校の教科書の内容が、どうも自分が 子供のとき(四半世紀以上前…)のそれとだいぶ違っている というニュースがあった。 鎌倉幕府はイイクニ?イイハコ?変わる教科書 1192(イイクニ)つく […]
投稿日-2013年5月

 

少し前の話題。
最近の学校の教科書の内容が、どうも自分が
子供のとき(四半世紀以上前…)のそれとだいぶ違っている
というニュースがあった。

鎌倉幕府はイイクニ?イイハコ?変わる教科書
1192(イイクニ)つくろう」。
語呂合わせでおなじみだった鎌倉幕府成立の年について、
近年有力な1185(イイハコ)年など
六つの説をまとめて紹介する高校教科書が、来春から登場する。
学説をこれほど並べるのは異例で、
文部科学省の担当者も「いままで見た記憶がない」と驚く。
古代から中世の歴史は学説が動くことも多く、
教科書の記述も「ゆるめ」になっているようだ。
(2013年3月27日付 読売新聞)

年号の語呂合わせの代表格とも言える
鎌倉幕府成立がいつのまにか変わってしまったらしい。
イイハコ・・・「ナイスボックス・カマクラバクフ」ですな。
これはラジオで中西哲生さんが言っていた受け売り。
車で聞いていて思わず吹いてしまった。

そのほかにも、
大化の改新 → 乙巳(いっし)の変
大和朝廷 → 大和政権(またはヤマト政権、ヤマト王権)
日本最古の貨幣:和同開珎 → 富本銭
鎖国 → 「鎖国」の記述は削除
仁徳天皇陵 → 大仙古墳
士農工商 → 取り上げられなくなった
聖徳太子 → 厩戸(うまやど)皇子
などなど。

呼称が変わるのはまだいいとしても(良くないか?)
鎖国も士農工商という身分制もなかった、と言われてしまうと
さすがに「えっ?」となる。
自分らが覚えてきたことは、いったい何だったのかな、と。

時代々々の教科書は、
その時点で「確かと思われる説・解釈」で記述されるので
経時で変わることはさもありなん。
しかし、それをありがたく拝受するしかない身としては
納得しがたい。

薬の効能書きよろしく、
「歴史解釈は論説により変化します。
学習にあたっては、その点を考慮し、
諸記述を盲信しないようにご注意ください。」
くらい冒頭に書いて欲しいな。
もっとも、そんなことを書かれたら教員もやりにくいだろうし、
誰も覚えようとしなくなるかもしれない。

歴史に限らず、世の一般についても
こういった「常識が変わってしまう」事象は少なくない。
常識とは、広く知られるようになり、
受容された、ある個人が生んだ解釈・定義でしかないということだ。
どんな大天才、大思想家も、人である以上「バカの壁」から逃れることができない。
もちろん、起点は個であっても、
それが多くの研究者の努力によって補強がなされ、
限りなく「正しい」説になっているものもあるだろう。
しかし、人間を越える存在が発行した「保証書」がないことには変わりはない。

だから、なにもかも無意味だと言うつもりもない。
世界は、そういった「不確かかもしれないが有用なこと」で
成り立っている、という話である。

まだ「正解」のようで、実は賞味期限が過ぎている「常識」が
見渡すと結構あるように思える。
時代の変動期であろう昨今においては、
その新陳代謝の激しさは想像以上のようだ。

常識を疑え。
常識を捨てろ。
常識に捕われるな。
などを題した書籍がたくさんある。
そういう書名に、わたしは引き寄せられやすくて
読めば、なるほど、と感心し、そういう思考をしたいなと思う。

しかし、一方で常識の否定には、なぜか「後ろめたさ」がある。
考えるに、世の常識には道徳・礼儀・倫理などの社会規範が
セットで付いていることが多いのだ。
よって、常識の否定=規範の否定、になる場合があり
それが「後ろめたさ」になるのだろう。

常識のない人、と言えば
けして褒め言葉にはならない。
その誹(そし)りを受けたくないと思うのも、人情である。
だからといって、常識に従うだけの人生はあまりに息苦しい。

しかるに、常識と規範を
いったん分離して考えるのがミソなのか、と思う。
とんでもない思い付きは規範と一体で考えると、
その実現可能性は限りなくゼロになる。
世をあっと言わせるようなアイディアは
規範をいかにクリアするかが
突破点になるのではないのか。

人間が考えることの「9割9分以上」が
4世紀くらいまでに一度は考えられているという説がある。
とんでもないアイディアも残念ながら
あなたが考える遥か以前に、他の誰かが考えている。
だからといって、がっかりする必要はない。
あとは、規範という壁をどう乗り越えるかに知恵を使うだけだ。
しかし、多くの人がここで引き返してしまうのだ。
「出来っこない・・・・」

アインシュタイン博士は、
「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである。」と言った。
18歳という意味は、生まれ育った環境、
学校を出るまでに覚えたことを指すのだろう。

学校教育はナンセンスということではない。
教育は軍事、医療とならぶ近代国家の根幹であり、
学校教育は全体の底上げという意味では大変有用だ。
しかし、その副作用が「正解渇望症」とでも言うもので
テレビのクイズ番組に人気があるのは
正解のない現実世界へのフラストレーション?を
まぎらわす代償行動なのかなとも思ったりする。

私の住む街に、故岡本太郎氏の美術館がある。
若い人は知らないかもしれないが
1970年の大阪万博のモニュメント(太陽の塔)の制作や
「芸術は爆発だ!」というメッセージで
一世を風靡した芸術家だ。

以下は、氏の著書の一節だ。
他の本は処分してもこれは長く手元に置いている。
20年以上前に書かれたものだが、今読んでも刺激を受ける。

この世の中には、完成なんてことは存在しないんだ。
完成なんてことは他人が勝手にそう思うだけだ。
世の中を支配している”基準”という、
意味の無い目安で他人が勝手に判断しているだけだ。

ほんとうに生きるということは、
いつも自分は未熟なんだという前提の元に
平気で生きることだ。

*自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)より

完成を正解、基準を常識に置き換えて読めばドンピシャだ。

さらに「未熟であること」について
マクドナルド創業者であるレイ・クロックは言う。

未熟なうちは成長する。成熟すればあとは衰えるだけだ。

正解が用意された世界とは、「あとは終るだけの世界」。
どうしたらいいのか分からない世界は、成長の可能性が広がる世界。

正解のない世界とは、
実は希望にあふれる世界のことなのだ。

最後に、人の可能性を示唆する
面白い話を知ったので紹介したい。

19世紀のエスキモーは
氷の上で、なんと裸で寝ていたそうである。
しかし現在のエスキモーが同じことをすると
すぐに凍傷になってしまう。
何がきっかけで、エスキモーは変わったのか。
文化人類学者が調査してみたところ意外なことがわかった。
それは西洋医学が導入されて、
「そんなことをしていたら凍傷になるよ」
と警告されるようになった時点から変わったのだという。

世界はあなたが見たいように見えている。
だから、見方を変えれば世界は変わる。

正解は自分の中にあるのだ。

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藤川

執筆者: 藤川

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