あっという間に、今年も半年が過ぎてしまった。
あっという間だから、特に何も無かったのかというと
思い返せば、自分としては珍しくイベントが続いた年である。
1月と2月は自分のバンドのライブ出演が続いたため
その準備・練習でバタバタ。
3月は、実に10年ぶりくらいの家族旅行で大阪のUSJへ。
今が旬でしょ!とハリーポッターを満喫。
4月はひたすら翌月の展示会の仕込み、準備作業。
5月はその運営で三日間幕張に連泊、これはキツかった。
というようなことを書くと、傍目には「充実してますね!」と。
いわゆる「リア充(リアルの生活が充実)」ということになるのだろうか・・・。
派手なトピックだけを抜き出せば、
日々がやる事や楽しみでいっぱいのように見えるが
実際は「なんでもない」日々の方が圧倒的だ。
仕事が終われば、帰って食事して、
少しぼーっとして、コンビニに行ってみたり、
あ、もうこんな時間かと、いそいそと風呂に入って寝る。
そんな感じの繰り返しだ。
年齢的に、どこそこが調子が悪い
ここが変に痛いだの、身体的な不調も多い。
自分の先々の事や家族や親についての心配事もある。
ただ、人に言う事でもないし
考えてもしょうがないことは
考えないようにしているだけである。
Facebookやtwitter等の「SNS」で
友人が投稿する「リア充」ネタを羨んだり、妬んだり
「それにひきかえ自分は・・・」と
鬱々としてしまう若者(中年も?)がいるという。
昔の話になるが、1980年代後半頃にビジネスパーソンの間で
「システム手帳」というものが流行った(今もあるようだけど)。
革製の高級感あるバインダーに、
リフィルと呼ぶ様々種類のノートを綴じて使う。
ファイロファックスというブランドが有名だった。
特に「予定表」は重要で、その書込み密度を皆が競っていた。
いかに「手帳が予定で真っ黒」であるかが優劣を決める。
予定がいっぱい=デキるやつ、という「神話」が蔓延していたわけだ。
昔はこういう形で「リア充」合戦を繰り広げていた。
オンもオフも本当に予定がいっぱいの猛者もいるのだが、
中にはよく見ると「ゴミを出す」とか「夕食の買い物」など
あきらかにどうでもよい事を何でも書いて
「リア充」を偽装する者もいたりして・・・。
時はバブル崩壊前夜で、何でも「イケイケ」だった。
(イケイケって分かるかなぁ・・・?)
24時間戦えますか?というCMコピーが流行り、
金も時間も物も「これでもか!」というまでに
目一杯詰め込むのが人生の充実と多くが思っていた。
その後「失われた20年」を経て
東日本大震災、原発事故、を経験して
経済的な成功や豊かさがイコール幸せとは言えないかも、
と皆が思い返すようになったかに見えたのだが。
このところの日経平均株価の上昇とともに
学んで成長したのではなく、結局また忘れてしまったようだ。
進化心理学という学術分野・論考がある。
人の心理メカニズムの多くは、生物学的適応、
つまり生存に有利な特性が残ってきた結果ではないか、
という仮説に立っている。
進化心理学を紹介した
「生きづらさはどこから来るか: 進化心理学で考える」
( ちくまプリマー新書 石川 幹人著)という本によると、
人類の心身は一万年前からほとんど進化しておらず、
一万年前の環境に適応したままである。
一方、文明のほうは、急激に進展。
現代社会を生きるためには、私たちは狩猟採集時代の能力を
なんとか上手く活用させて、しのいでいるというのが実情であろう、と。
よって、様々な負の感情やうまく生きられないといった
一見個人的と思えるような悩みや行動は、実は
「狩猟採集時代の心身」と「文明がもたらした環境」とのズレであって
個人の性格や能力の外に原因がある可能性が高いのではないか。
物質的な多寡と人生の豊かさに、
決定的な相関がないと頭では分かっても
狩猟採集時代の飢餓の記憶が
「モノを集める、貯め込む」ことを止めさせてくれない。
他人は他人、自分は自分と思っても
狩猟採集時代の集団排除=死の記憶が、
「仲間はずれ」の恐怖として、
SNSの利用を止めさせてくれない。
どうやら、学んでいないのではなくて、
人類共通の問題で克服にはまだまだ時間がかかるということか。
やはり、それには更に1万年必要なのだろうか。
先日テレビで「こんまり」さんという女性を知った。
「こんまり」とは近藤麻理恵さんのニックネームで、
なんと2015年のTIME誌で『最も影響力のある100人』に
日本人として、村上春樹氏とともに選ばれた一人である。
彼女は「片付け」の専門家だという。
自らを「片付けのオタク」と称し、
「片付け」のし過ぎで倒れて入院したという経歴もある。
2010年に出版した『人生がときめく片づけの魔法(サンマーク出版)』は
世界30カ国以上で翻訳され、200万部の売り上げを記録。
「こんまり-konmari-」は片付けることを意味する言葉として
広まり始めているという。
「片付けができない」=「集めたモノが捨てられない」
という行動が、個人の性癖や能力ではなく
人種、国境を越えた「人類共通の悩み」であることを、
彼女は実証したわけで、進化心理学的に考察すると
これは実はとんでもない大発見なのかもしれない。
「片付け」をするとスッキリするのは、
単に綺麗になったから気持ちいいのではなくて
狩猟採集時代の忌まわしい記憶のひとつが消えて
遺伝子レベルで気持ちいいのかもしれない。
「片付け」が人類を進化させるのか・・・!?。
そう考えるとなんとも愉快な話だ。
皆が同じように抱える負の感情(悩み)も
意外と思う「ある行動」によって、クリアされていくのかもしれない。
ちなみに彼女のメソッドの基本は収納術ではなく、まずは「捨てる」ことだという。
そして、こんまりさんが「片付け」に開眼したのは
過去このコラム(「捨て上手」は「できる人」)で紹介した
『「捨てる!」技術』という本だそう。
私の目の付けどころも捨てたもんじゃないようだ・・・てへ。