少子高齢化社会である。
老人が増える。一方で若者は減っている。
総務省統計局の資料を見ると
今年の新成人は121万人で、人口,割合共に過去最低を更新したという。
第1次ベビーブーム世代、昭和24年生まれが成人した昭和45年が246万人。
第2次ベビーブーム世代が成人に達した平成6年が207万人だという。
以来、右肩下がりで2016年は、ピーク時の半分になってしまった。
ちなみに少子化という言葉が造語として登場したのは
1992年発行の「国民生活白書」だそうだ。
そして高齢化。
65歳以上人口が総人口の7%に達した社会を「高齢化社会」、
14%に達すると「化」がとれて「高齢社会」、
21%に達すると「超高齢社会」という。
2015年時点で、日本での総人口に占める割合は26.7%。
だから正確には「化」がなくて、日本は「少子超高齢社会」だ。
いや、「超」すら越えているから「少子”鬼”高齢社会」かな?
人は否応無く、老いてやがて死ぬ。
しかしそれを補うに足る数の子供が生まれてくれば
世代交代が上手くなされるはずだが・・・。
日本全体は「老い」という坂を下る一方だ。
老いてゆくのは、人だけではない。
「会社の老化は止められない――未来を開くための組織不可逆論
(細谷 功著/亜紀書房刊)」
組織や団体は、どこか機械のようなものとして
いろいろ不具合を起こすことはあるが
適切な管理を施せば、未来永劫に続けることができるもの。
皆が暗黙に「不老不死」と思っている。
その点について細谷氏は言う。
会社も人間同様に、生まれた時から老化の一途をたどり、
決して若返ることはない。
老化とは後戻りができない「不可逆プロセスの進行」である。
企業が永遠に成長するというのは、幻想であって
出来ないことを出来ることにしている(ねばならない)という前提が
日本を覆う閉塞感の根本原因ではないか。
老化が進行した企業では次のような事が起こる。
ルールや規則の増加
部門と階層の増殖
外注化による空洞化
過剰品質化
手段の目的化(形式主義化)
顧客意識の希薄化と社内志向化
社内政治家の増殖
人材の均質化・凡庸化
など・・・
このような組織疲弊・障害は、大企業病や官僚主義と評されてきたが
病気やイデオロギーではなく、生命体の活動プロセスとして考察することで、
様々な事象の説明・理解ができるのではないかという。
確かに言われてみれば、成長と老化は同義だ。
プロセスを表から見るか、裏から見るかの違いだ。
従って、どんなに注意深く管理しても
組織は、いつか大企業病や官僚主義に陥る宿命にある。
会社の営みは「老化との戦い」なのだ。
更にここで注意すべきは、戦うとは「若返る」ことではなく
せいぜい「アンチエイジング」、もしくは延命だということである。
詳しくは同書をお読みいただきたいのだが、
目次で既にうなずくような「あるある感」が満載だ。
例えば、第二章の、老化した会社の「止められない」症候群。
「スタンプラリー」は止められない・・・
これは、意思決定の承認者の数である。
あなたの会社の稟議書に承認印欄はいくつあるだろう?
「リモコンボタンの増殖」は止められない・・・
これは、製品の過剰機能化、派生モデルの増加などである。
押されないボタンは増えることはあっても、減ることがまずない。
その他、
「部門の細分化」は止められない
「会議の肥大化」は止められない
「階層の細分化」は止められない
「過剰品質化の流れ」は止められない
「予算の増加」は止められない
「証拠作り」は止められない
「規則の増加」は止められない
「加点主義から減点主義への流れ」は止められない
「社内評論家の増加」は止められない
おそらく、「大手」や「老舗」と呼ばれる企業で
当社はいずれも当てはまりませんという会社はない。
さらに、第三章では、「正しい」とされてきた経営手段が
実は「老化」を加速させてしまうのだと指摘する。
・ブランド力を高めれば社員の依存心は増す
・組織化すれば付加価値が失われる
・評価指標を多様化すれば人材が凡庸化する
・外注化すれば空洞化する
・成熟すれば「みんな同じ」になる
・M&Aは老化に拍車を掛ける
・規模の経済は「頭のかたい人材」を増やす
老化とは資産の負債化であるという。
様々な悲劇は、それに気付かないことで進展する。
時々ニュースで「ゴミ屋敷事件」を知る。
その住人が「これはゴミではない、財産なんだ」と主張する。
しかし多くは、町の景観毀損や周囲環境の悪化、
一歩間違えば他者に危害を与える迷惑行為になっている。
これは老化した企業にも当てはまりはしないか。
では、老化した企業には、もう処方箋がないのだろうか?
同書によれば、誠に残念ながら「ない」である。
根本的には世代交代を受け入れるしかない。
世代交代とは、経営者が交代する、社員が入れ替わるということではなく
会社そのもののリセット(退場〜交代)である。
しかしそれが出来ないままなのが今日の日本だ。
そして国自体もそいういう運命にあるのかも。
かつて七つの海を支配したイギリスやスペインと同じように。
もうひとつのリセット方法として
「会社ではないもの」になるということ、
超集中化と超分散化というキーワードをあげている。
これは既に「クラウドファンディング」や「クラウドソーシング」という兆しがある。
会社という枠は手段としてこれからも利用されるだろうが、主役ではなくなる。
ことわざに「新しい酒は新しい革袋に盛れ」とある。
新しい酒を古い革袋に入れれば、両方が駄目になってしまう。
古い革袋を糊塗(こと)したままの変革はあり得ないのだが
そういう組織の長ほど、「イノベーション」を声高に叫んだりする。
最後に世代交代を促す人材について。
人材は大別すると、イノベーション型とオペレーション型になるが
会社の抗老化には、前者の存在が不可欠になる。
しかし残念ながら、2:8の法則よろしく
数として圧倒的少数であることがほとんどである。
更に悪いことに、老化した組織ほど
そういった人材をスポイルする、または排除する
メカニズム(「社内常識」と呼ぶ負債化した価値観)が強く作用するため
イノベーション型人材は、減ることはあっても増えることがない。
老化の度合いと、(比例して必要性が高くなる)イノベーターへの拒絶度が
等比であるというのが何とも皮肉である。
世間体の良い「立派な会社」ほど、
実はイノベーターを殺す条件が揃っていることになる。
これは悲劇というべきか、喜劇というべきか。
かくして、自らをリセットする力を失った会社の末路は推して知るべし。
過日話題になった、町工場が大企業相手に奮闘するドラマは
まさにこの「イノベーター」対「アンチイノベーター」の対立構図を描いたものだが
こういった物語に共感が集まるということは、
まだ希望の火は尽きていないと思うべきか・・・。
眠れるジェダイの騎士たちよ、早く覚醒してくれ。
残された時間は少ない。