20年ぶりに私の職場が移転することになった。
現所在地(横浜市都筑区)は今でこそ、
戸建て住宅や大きなマンションが建ち並び
立派な郊外の住宅地になっているが
この地に来た20年前は、文字通り何もなかった。
写真は社屋建設当時の様子。
周囲は延々と広がる大規模造成地しかなかった。
ちなみに奥の森林は後に横浜国際プールになる場所。
かつてこの横浜市北部の山岳地帯は、
「横浜のチベット」と揶揄されるような場所で、
主要鉄道の駅から遠く、かつバス路線も少ない「辺境の地」。
冬の終業時間ともなると、街灯や家灯りがないので辺りは真っ暗。
闇から魑魅魍魎(ちみもうりょう)が出かねない様であった。
さて、今回の主題はそういった思い出話ではない。
ひさしぶりの「引越し」ということで
否が応でも大量の「モノ」の処分と向き合うことになり、
そこから考えさせられた「人の終わり方=老い」である。
実に20年ぶりの引越しである。
そして、移転先の保管スペースの余裕度がないため
極力、保有書類や備品を減らせというお達しがあり
目下、職場は片付け作業で大わらわである。
個人の家でもそうだが、引越し準備が始まると
どこに収まっていたのかと不思議に思うほど
大量の物品が出てきて、唖然としてしまうもの。
特に困惑するのは、「これは先々使うものなのか?」
と思うような古い備品や書類が、
意味ありげに丁寧に保管されていることである。
会社の場合、保管期限が定められた文書もあるので
一概に断ずることはできないが、
今回の引越しでの保有物品の精査の結果
7割以上が「不要」として処分されることになった。
もし、今回の移転がなければ、これらはあいかわらず
オフィスの中に居座り続けているのだろう。
そういう点では、引越しはいいきっかけだ。
日々をなりゆきで過ごしていると、
(「ルーティーン」と言ったほうがいいかな…)
要不要問わずモノは増える一方である。
なので、適時「棚卸し」して処分するなり、適正化できればいいのだが
一般的に実行されるケースは少ないと思う。
なぜなら、そのままでも「少なくとも今の自分は」困ることがないから。
困ることがあるとすれば、それは未来のどこかの時点で
この会社に属した誰かにとってである。
まあ、それが自分であることも・・・ある。
「出口戦略」という言葉がある。
もともとは、ベトナム戦争時に
アメリカ国防総省内で使用されたのが始まりだという。
後に、経営用語に転用され、企業活動の撤退時に
経済的損失を最小限にする方策の意味に用いられるようになった。
平たく言えば「終わらせ方」である。
今回の移転準備で思うのは、
私たちは「始めること」や「手に入れること」には熱心だが
「出口戦略」をほとんど考えていないようだな、と。
以前『「片付け」はなぜ気持ちいいのか』というトピックで、
人は物質的な多寡と多幸感(裏返せば喪失の不安)を結びつける呪縛から
なかなか抜け出すことができない。
ましてやそれが「遺伝子レベル」で刻まれているとするなら
その克服はかなり困難だろう、と書いた。
「捨てる」もしくは「終わらせる」という概念が
人の心性に、そもそも馴染まないのかもしれない。
人にとっての終わりは「死」だ。
おぎゃあ、と生まれた時に「死に方」を考えるやつはいないが、
そもそも、いつ死ぬかもわからない。だが、人の死亡率は100%である。
この辺りが、ことを面倒にしている。
しかし、いつまで生きられるかわからないから
生きていられる、というのもあろう。
もし自分の死亡日が事前にわかってしまったら
その日を迎える恐怖に耐えられないかもしれない。
このところ流行りの造語に「◯活」というのがある。
◯には活動目的となる事柄を入れて
「婚活」「就活」「妊活」などと使うが
人生の終わりに向けた後始末?として「終活」というのもある。
「立つ鳥跡を濁さず」的に、きれいに死ぬための準備。
若い時はそんなこと微塵も考えなかった(まぁ、それが普通)。
しかし、コップの残りの水が半分を過ぎた自分としては、
視野に入れざるをえない。
とは言うものの、差し当たって何をすればいいのか。
いまは幸いにして、老いに関する情報は
調べれば様々な形で入手することができるが、
印象としては10割ネガティブな話である。
老いて良いことなどひとつもない。
「終活」という言葉の違和感の根っこにはそれがある。
「婚活」「就活」「妊活」は、その結果として
良いことや楽しいことがある(本当にそうかは異論もあろうが)。
なので、面倒でも頑張ろうかなと思える。
一方「終活」の結果は、自分が知ることはない。
その効用を言うなら、
準備があれば「その日」が来ても慌てずに済むので
当面忘れていい=気が楽になる、という話なのだろう。
しかし本当に重要なのは「その日」ではく、そこに至るまでの日々だ。
たとえばこんな本を読んでみた。
「絶望老人(新郷 由起著/宝島社刊)」。
帯にこうある。
長すぎる老後は生き地獄だった。
「貧困」「無縁」「独居」- 35人が語る老後のリアル
読む前から、憂鬱になりそうな本だ。
内容は、非常に仔細に取材されたルポルタージュで、
危機を煽ることが主眼ではないと思いながらも
直視には胆力が必要な話ばかりである。
これが日本の老後の全てであるなら、希望はゼロである。
元気なうちに、生き地獄を味わう前に
とっとと死んでしまった方がいいとしか思えない。
現実、様々な理由で、困窮している高齢者は少なくない。
日本の人口動態予測に沿えば、それは増える一方だろう。
なので、その実情が社会問題として広く知られる必要はあろうが
いまは「狼が来るぞ」という語り口ばかり。
まじめに向き合うほど、どんどん辛くなるような構造にある。
現在の老後問題の設定は、災害問題(対策)と同じ切り口なのだ。
だから読んでいると鬱々としてくる。
地震対策、水害対策マニュアルを読んで楽しいはずがあろうか。
必要なものではあるけれど。
老いは災禍である。
この発想が根底にある限り、
老境を積極的に受け容れる思考を持つことは難しそうだ。
ん〜何か、認識の転換はないか、と考えていたら
少し昔になるが、こんな本があったのを思い出した。
「老人力(赤瀬川 原平著/筑摩書房刊)」
先に断っておくと、けして学術的な論考ではない。
物忘れ、独り言、ため息など、
ボケや耄碌(もうろく)として忌諱されてきた老人の言動を
未知の「マイナスパワー」として肯定的に定義しようという無謀?な試みである。
発刊当時は社会現象として流行語大賞候補にもなった。
などと書くと、いかにも意味ありげだが
読めばわかるが、真面目半分、冗談半分である。
例えば、物忘れ。
生きてゆくと、忘れてしまいたいことも起こる。
「忘れろ!」と言われて、そう出来るものではない。
しかし、老人力が高いと、簡単にそれが出来るようになる。
というような話が、様々な方面に展開される。
悪ふざけだ、と言えばその通りなのだが
当時も「思想上のコロンブスの卵」と評されたくらいに
皆をハッとさせたリフレーミング発想であったのも事実。
悲観的な見方が蔓延する現状とこれからにも、
一石を投じるような新しい概念が再び欲しいところだ。
赤瀬川氏は「老人力」のなかで、
明治生まれの人のカッコ良さは「命を張って生きたことから生じる気品」に
あるのではないかと書いていた。
気品ある存在としての老人。
気品は一朝一夕に身につくものではない。
生きた時間の質を「佇まい」として持った老人は素敵だと思う。
人生の出口戦略として、
墓がどうだとか、財産分与がうんぬんという事務事項も大事だが、
自分がどういう年寄りになりたいかのかが最重要。
それは若見えとか、年齢不相応に強靭な体力とか
ではなくて(まぁ、それも欲しいけど)、
「気品」をどう獲得するか。
そのために、これから何をどうした方が望ましいのか。
それこそが老後設計のコアなのではないのかなぁと。
今はカネ勘定に傾きすぎだからツマラナイ話になっている。
逆に語るべき内容がないから、カネの話しかできないのか。
「惨めで卑しい」というのが今の日本の老後を語る体だ。
それが私を憂鬱にする。
理想的なおじいさんの姿だと、今も思うのは、
「男はつらいよ」で帝釈天の御前様(住職)役をした
笠 智衆(りゅう・ちしゅう)さんだ。
黒澤明監督が1990年に制作したオムニバス映画「夢」の中の一篇。
「水車のある村」で、笠 智衆さん演じる103歳の爺様の台詞を最後に。
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本来、葬式はめでたいものだよ。
よく生きて、よく働いて、
「ご苦労さん」と言われて、死ぬのはめでたい・・・
この村の者は、自然の暮らしをしているせいか、
幸いに年の順に死んでいく。
あんた、生きるのは苦しいとか何とかいうけれど、
それは人間の気どりでね。
正直、生きてるのは良いもんだよ。とても面白い。
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災害対策マニュアルだけでは、命を救うことができても
人間的に死ねる世はつくれない。