コーヒーブレイク コラム

働き方改革は本物か 〜多様化すべきは「幸福の方程式」〜

昨今の耳目を集める「働き方改革」。 その機運が関連法の成立・施行とともに高まっている。 常態化した長時間労働や、それによって起きる 様々な健康被害、雇用形態による待遇差など。 長く日本で「当たり前」または「仕方ない」とさ […]
投稿日-2019年5月

 

昨今の耳目を集める「働き方改革」。
その機運が関連法の成立・施行とともに高まっている。
常態化した長時間労働や、それによって起きる
様々な健康被害、雇用形態による待遇差など。
長く日本で「当たり前」または「仕方ない」とされてきた
勤労のあり方を変え「多様な働き方」を可能にすることが目的だという。

しかし「働くこと」の定義や意味付け(価値観)は
その人の生い立ちや就労経験(原体験)によって左右されるので、
皆が諸手で「働き方改革賛成!」という状況ではないようだ。
典型的な「総論賛成、各論反対」という様相を見せている。
私個人も、悪い話ではないが、どこか違和感というか
ピントがずれている印象が否めない・・・
その理由の探求が今回のテーマである。

ちょうど今「わたし、定時で帰ります。」という
ドンピシャのテーマを題材にしたテレビドラマが話題だ。
私は、たまたま初回放送を見て面白くなり、その後も見続けている。
内容がキャッチーかつリアルで、久々にハマった作品だ。
ドラマから考えさせられることも多く、
このタイミングで腰を上げないと機を逃すようにも思えたので
やや重いテーマであるが、取り上げることにした。

まず最初に書いた就労経験(原体験)の違いを考えた。
戦後世代の類型化は諸説あるが、ざっくり分けると
(1)昭和の高度経済成長
(2)高度経済成長後〜バブル崩壊前
(3)バブル崩壊後〜平成の失われた20年
のどこを(社会人としての)原風景・原体験としているかで
その人の仕事観、人生観が形成されているように思う。

日本の常識として根付いてる(と思われる)「働くこと=人生」。
この価値観は(1)の世代によって強化されたと考えていいだろう。
さらに言えば、この働くことは「会社」とほぼ同義であろう。
戦後復興のためにはガムシャラに働くしかなかった。
働く仕組みとして「会社」が有効だった。
仕事ファースト。滅私奉公。仕事あっての自分。
多少人物的に問題があっても、
酒癖が悪かろうが、女癖が悪かろうが
仕事が(さえ)できれば無罪放免。
人生が「プロジェクトX」になるのが勲章・・・

なので、この世代の方々には
働くことを抑制するかのような「働き方改革」が
「亡国論」にしか思えないのは、無理からぬことだろう。
更に働くことが自分の尊厳に直結する価値観においては
自分の生き様を否定されるのと等価なのだから
反感も当然あるだろう。

かつては、会社の発展が個人の多幸感に
(ほぼ)つながっていたと思うので、
「会社のために」を「自分のため」とみなして
自分の働き方の信条としたのは間違いとは言えない。
「会社人間」「組織人」になることの旨味はあったかと思う。
(それを強要する側も「良かれ」と考えていただろう)

また(1)の世代の諸先輩の猛烈な働きぶりと
この国を世界二位の経済大国にまで押し上げた事実には
相関があると思うし、その事実に対する敬意もある。
そういう結果(経済的成功)があるから、
それをもたらした行動(勤労への傾倒)は正しいのだ、
という理屈も理解できないことはない。

しかしその理屈には成立要件、つまり条件(環境)があるはず。
国力・人口構成や生活様式、世界情勢、産業技術の進度など。
当時の諸条件と「全てを勤労(会社)中心に回す」という方法論が
(私が思うに「たまたま」)結果に結びついたのではないか。
実績とは恐ろしいもので、やがて手法が一人歩きを始める。
「条件+手法=結果」なのだが、実績というお墨付によって
条件が抜け落ちて(というか無視されて)「手法=結果」になる。
それが「(会社で)働く=幸福」という方程式だ。
高度経済成長の成功体験が「(会社で)働く=幸福」を
問答無用の社会規範にした。

だが社会の諸条件・環境は一定ではない。
徐々に社会規範の成立要件として齟齬を生じるようになる。
その変化は緩慢で連続的なため非常に感じにくい。
茹でガエルという比喩があるが、まさにそのよう。
高度経済成長の終りは1973年の石油危機という。

そこから46年後の今「幸福の方程式」として
「(会社で)働く=幸福」は、はたして有効なのか。

良い学校を出て良い(大きな)会社で働くことが幸福な人生。
そういう「幸せ双六(すごろく)」がもはや
成立しないことを多くの人が実感している。
一方「(会社で)働く=幸福」という方程式は
いまだ「有効なはず」とも思っている。

そこでどこかの賢い人たちは考えたのだろう。
働くことで幸福(感)を得られない現状があるなら
その原因はやり方(方法論)にあるに違いない。
そこで「働く方法論の改善=働き方改革」になった。
なので
・長時間労働の是正
・公正な待遇の確保
・賃金引き上げ、労働生産性向上
などの「手法」が論点になったのだ・・・たぶん。

これは典型的なお役所仕事、つまり現状ありきの「改善」である。
既存の手法を「修正することで結果」を出すという発想。
手法(原理)に適正性があれば改善は有効であるが
もし採用している手法(原理)そのものに瑕疵があったら・・・?

ここで10年前に自分が書いた記事を思い出した。
それは「こわれたポンプを押していないか」。
こわれたポンプを懸命に押しても自転車のタイヤに空気は入らない。
解決はポンプを変えることだ、という内容だ。
私は「働き方改革」は「こわれたポンプ」に頼っていると感じた。
「こわれたポンプ」とは「(会社で)働く」である。
「(会社で)働く」という方法論が手法(原理)として機能不全を起こし始めている。
「こわれたポンプ(会社で働く)」をいくら弄り回したところで
かつてのような「イケイケドンドン」になりようがない。

会社を対象に雇用システムをいじることで、なんとかしようとしてる。
それが「働き方改革」の違和感の正体ではないか。

働き方改革は「会社雇用・勤労」という枠組みが大前提である。
言い換えると「(会社で)働く=幸福」という方程式の延命だ。
「(〇〇〇〇な会社で)働く=幸福」の「〇〇〇〇な」
という形容詞を「多様性」と言っているように聞こえる。
働き方改革は入り口を間違え、戦うべき土俵(対象)も間違えている。
それが働き方改革の実相ではないのか。

おそらくそれでは何も変わらない(多少ガス抜きはできるだろうけど)。
問題の本質は、方程式(方法論)が「ひとつしかない」ということ。
人の多幸感をもたらすものは勤労だけではない。
目指すべきは会社に雇用されなくても(勤労以外でも)
様々な方法で人間らしく生きていける環境を作ること。
「会社雇用・勤労」は選択肢のひとつにすぎない。
それが目指すべき方向ではないのか。

多様化すべきは「働き方」ではなく「幸福の方程式」。
唯一(絶対)の「あるべき姿」はもう成立しない。
方程式の左項つまり「(会社で)働く」を固定化ぜす多様化すること。
何をもって幸福なのかを一律に押し付けないこと。
それを個人が自由に選べること。
さらには幸せの定義に序列はないということが広く認められること。
様々な左項が成立する環境を作ることが本当の「働き方改革」ではないのか。
もっともこうなると、それはもはや
働き方ではなく「生き方改革」であるが・・・

方程式の左項(幸福になる方法)は本来何でもありなのだ。
そしてそれに気づいた人は既に実践している。

例えばSNSを利用したビジネス。
YouTuberが代表的だが、自分が得意なことや趣味を発信することで
ファンコミュニティを作り、そこで広告収入を得たり
サービスや物販を通じてマネタイズする。
いわゆる「好きなことで生きてゆく」の体現である。

また他にこんな実例もある。
神田神保町にある「未来食堂」という定食屋である。
2015年に開店した当時話題になり
マスコミにも取り上げられたので知っている方もいるだろう。

この店の最大の特徴は「誰でも働ける」という仕組みである。
従業員は店主(経営者)である小林せかいさんという女性が一人。
他は全て「まかないさん」と呼ぶボランティアなのだ。
なぜ「まかないさん」なのとかというと
50分働くと一食タダで食べられるから(なお賃金はない!)。
そして「まかないさん」達は店のWebサイトに設けられた
カレンダーに自分で日時をエントリーして働くのだ。
また「誰でも働ける」ための彼女の協働ノウハウがすごい。
能力を問わずその場で即戦力にする方法論を独自で編み出した。

そんな方法で飲食店経営ができるはずがない・・・
ましてや無給で働く者などいるはずがない・・・
常識的な判断ではそうなるだろうが、現実は今も黒字で経営が続いている。
(なんと毎月の売上実績、事業計画書をネットで公開している!)。
私も4月に実際利用してみたが、
普通にきちんとした食事ができた。これは紛れもない事実だ。
(ちなみに家庭的な味付けで普通に美味しくいただけた)

興味があれば「未来食堂」についての著書もあるので
ぜひ読んでみて欲しいと思う。

昔から今日まで「幸福の方程式」は
君主や国家、宗教家などの権威が示してきたのだと思う。
しかし国家、企業、個人のパワーバランスが激変している今は
普遍的な社会規範としての解など存在しようがないのだ。
これからは自分で自分の「幸福の方程式」を作る必要がある。

そう言われて
「ラッキー!」、「ワクワクする!」と喜ぶ人。
「どうすればいいのかわからないよ、誰か決めてよ」と戸惑う人。
私は、日本人の多くは残念ながら後者ではないかと思う。
なのでピントがずれた「働き方改革」で
「食えない餅」を見せ続けることが、結果として
「働けど働けど猶(なお)わが生活(暮らし)楽にならざりぢっと手を見る」
という「幸せ難民」の大量発生を誘発しかねないと思えてならない。

ここまで来て、それでもやはり「(会社で)働く=幸福」は
これからも揺るがない真理ではないかと、あなたは思うかもしれない。
では逆に質問をしよう。これは今も通用するだろうか?
戦前までの日本の「幸福の方程式」だ。
これを否定するものは「非国民」と非難された、

「国(主君)のために死ぬこと=幸福」

あなたはこれを受け入れることができるだろうか?
翻って「(会社で)働く=幸福」はどうだろう。
それが未来永劫続く理由を説明できるだろうか?

最近、民放局のオンデマンドサービスを家人の希望で契約し
昭和のなつかしいドラマ番組などを見たのだが
すぐに強烈な違和感を感じるようになった。それは喫煙。
職場、家庭、路上とあらゆる場面で何のためらいもなく
登場人物達が盛大に紫煙を吐いている。

私はそれを見ながら、今から50年後の日本を想像する。
「(会社で)働く=幸福」という方程式の評価は
果たしてどうなっているのだろうかと・・・

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執筆者: 藤川

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