コーヒーブレイク コラム

絶望の国で希望を持つ 〜いい人生の最終結論〜

一昨年から続く世界規模の疫病騒ぎが未だくすぶり続けている。 人類は、当初丸腰で右往左往していたが どうにかこうにか戦う武器を手にしつつある。 ここにきて感染力が高い変異株の猛威で 再び社会混乱をきたしてはいるが、それも一 […]
投稿日-2022年2月

 

一昨年から続く世界規模の疫病騒ぎが未だくすぶり続けている。
人類は、当初丸腰で右往左往していたが
どうにかこうにか戦う武器を手にしつつある。
ここにきて感染力が高い変異株の猛威で
再び社会混乱をきたしてはいるが、それも一時的であって
この騒動も今年には収束するのではないかと思う。
(風土病的に残る部分はあるだろうが)

というか、もういい加減にしてほしい・・・。
今の惨状は、はっきり言って全面的な政策ミス。
3.11の後始末以来まったく成長を感じない(むしろ年々劣化)。
こう何度も「いつか来た道」を見せられると
怒りを通り越して、湧き上がるのは憐れみだ。

 

世の中がそのような変化の渦中で、
直近の個人的な変化としては、還暦を迎えたこと。
それは単に年をとったという話ではなく、
長く続いた「所属」という概念から離れるということである。
考えれば、6歳からずっと就学・就職という形で、なんらかの集団に属してきた。
生活や人生において「それ」が枠組みであり、
当たり前のこととして、深い疑問もなく受け入れてきた。
そこには不自由な部分があった一方、
「(余計なことを)考えなくて済む」という恩恵(?)もあったことは否めない。

学校や会社にさえ行っていれば、
とりえあず「普通の人」としての格好はつくわけだ。
しかし現実の社会・世界は、それで済むような話ではない。
「所属」はある意味「保護装置」でもあって、
面倒なことや負担の対処を(気づかずに)
肩代わりしてくれていたわけで、
そこについては(いろいろ不満もあったけれど)
ありがたいことだったかも、と感じている。

だが実はそこには問題があるのだが・・・

 

物事には、だいたい表裏がある。
会社員だと気づくことが少ない社会のダークサイド。
いま、こうやって組織を離脱しつつあるなかで
日々それを実感している。
その一例が社会保険や税金等の仕組みだ。
前から多少勉強してはいたが、いざ目の当たりにすると
どうしてこうも(無意味に)煩雑でわかりにくいのか。
誰もがこの仕組みをすんなりと理解できるとはとても思えない。
これが民間のサービスであったら顧客離反で倒産のレベルだ。
ユーザーエクスペリエンスのかけらもない。
政府は、携帯電話契約の悪弊や難解さについて
苦言を呈し改善指示をしたことがあったが、
それは自分達のことであろう。

もう、これは故意に難解にしているとしか思えない。
そうすれば、(愚者は)国のいいようにあしらえるので都合がいい。
まさに「由らしむべし知らしむべからず」である。
国としては起業や独立を奨励するようなそぶりであるが
本音は、全国民を会社員にしたいのだろうな、と。
そうすれば、社会保険料や所得税は源泉で確実に徴収できる。
自由にさせれば愚行しかしないバカな国民は
学校・会社という「収容所」に縛り付けておけばいい。

 

なぜ、国(政府)のしくみが遅々として
改善することがないのか。
それは、客(国民)が逃げないからである。
島に一軒しかない商店のようなものだ。
どんなに酷い制度でも、今の(飼いならされた)
日本国民は泣き寝入りする。「一揆」は起きない。
為政者はそう見越している、としか思えない。

以前、「還暦ジャパンに秘策?あり 〜電力会社だって選べる時代になったのなら〜
という記事の中で、「第二日本国誕生」という
小松左京氏の古いSF小説を紹介した。
もし、本当にそういったシステムが登場したら
私は間違いなく乗り換えだ。
仕方なくおこなうツマラナイ(それ自身が何も生まない)手続きは
おまとめにして「ワンストップ」でお願いしたい。
鳴り物入りで始まったマイナンバーカードは、
それを目指しているのかもしれないが
残念ながら、先行きの不透明さを禁じ得ない。

 

この手の「愚民化(陰謀)」論は昔からあって
論客系インフルエンサー(というのかな)の定番ネタだ。
皆薄々感じていながら、仕方のないこととして
諦念している話なのだろうか。

辛口論考でおなじみの橘玲氏が
昨年「無理ゲー社会(小学館新書刊)」という本を上梓した。
氏の著書は20年以上前から読んでいるが
基本的なスタンスは変わっていない。かなり辛辣である。
残念ながら、年を追うごとに日本社会は、
真面目で素直な人ほど酷い目にあうようになっている。
だからといって、無差別テロのような
暴力的反抗は無意味かつ言語道断。
これからの私たちに必要なことは
強かに生きる戦略(学習と思考)だということ。

少なくとも、身近なところでは親や教師、そして
エスタブリッシュメント(社会的に確立した体制・制度=政府、学校、企業など)が
良しとする価値観とそれ基づく様々な処世観については、
鵜呑みにせず、自分で再考するべきである。
再考した上で、受容または自分なりの「別案」を模索する。
「世間並み」や「普通」は、もはや悪手でしかない。
素直に従うは「なりゆきまかせ」と同意である。

一方、日本の生産性が諸外国と比較して
著しく低いことを問題視する論考を目にすることが多い。
それが結果的にこの国の低成長率の原因であると。
だが「はぁ?いまさら何を言ってるのだ」と思ってしまう。
何十年もかけてせっせと国民を愚民化してきたのだから
あたりまえの結果ではないか。

考えない人」という記事を20年前に書いたが
当時からすでにその兆候はあって、
ここにきて、いよいよ取り返しがつかない状況に
なってしまっているだけである。
このままであれば、日本は間違いなく泥舟である。
希望のかけらもない。

 

そういったことを踏まえて
最後にこう言いたい。

日々を仕事のみでかまけるな。
仕事さえ懸命にやっていれば報われるというのは勝手な幻想だ。
仕事をこなす能力などは、いくら積み上げてもクソである。
いすれAIやロボットに代替されてしまう。
重要なのは思考力に尽きる。
関心や疑問を持ってそこから自分なりの答えを考え導き出す。

わからない→速攻ググる。
もしあなたにそういった習慣があるなら
まずはそれを即刻やめるべきだ。
そういうと「じゃあどうすればいいのか?」と。
答えは簡単だ。「考えろ」である。
そこで四苦八苦して考えた後でググるのはアリだ。
自考がないままの情報検索は、自分の愚民化を促すだけだ。
例えるなら、問題集を解く前に解答を見るようなもの。
問題集は解く力(思考)を鍛えるもので、解答が重要なのではない。
それと同じだとは思わないか?

現実の世界は「正解」がない問題ばかりである。
そこで、延々ググった挙句、「答え」がない「使えない」とほざく。
大馬鹿者。使えないのは自分の頭の方だ。

 

希望のかけらもない国だけれども
個人として絶望する必要はない。
こんな世の中でも、充実した人生を過ごす秘訣はひとつ。

自分で考えて自分が決める。それに尽きる。

その結果の成否は人生の良し悪しと関係がない。
なぜならそのプロセス全てが自分のものになるから。
大事な判断や決定を
人任せにした結果に満足することは絶対にない。
仮に世間で言う成功をしたとしても、どこかに空疎感がある、
塩水で喉の渇きを潤そうとするようなもの。
それは自分の人生を生きていないから。
人生の責任者は結局自分なのだ。

とにかく「考える力」をつけて欲しいと思う。
そのために、これもしつこく書いてきたことだけれど
人文、社会、科学などの論考を主体にした本を読んで欲しい。
言葉は思考の餌。言葉を知らずに思考力が上がることはない。

そして、人の意見はきいてもいいが
最後は必ず自分で決める。

日々の些細なことでも、そのように過ごすだけで
薄暗い日常に、徐々に光が射すようになる。
いい人生とは、自分が選んだ人生のことなのだ。

藤川

執筆者: 藤川

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